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6.それなのに何故紫イペは無名なのか | ||||||||||||||||
「奇跡の薬木」といわれるその名のとおりに、数々の治癒効果を起こしつづけてきた紫イペ。それも長い歴史のなかで、一部には熱狂的に用いられてきたはずなのに、どうして紫イペが大多数の人の耳には入らなかったのでしょうか? 通常、薬品は科学的に精妙に分析され、その分析結果をもとに薬効が証明されるといわれます。科学的な裏付け、それも世界中の科学者の多くが認める「裏付けのとれた薬効」はまだ紫イペはなされていないということになります。 世界のあちこちで、また遅ればせとはいえ日本でも、いろいろな研究が行われている紫イペですが、まだ世間的には各方面の科学者たちの薬効へのコンセンサスがまちまちなために「無名」となってしますのです。これは紫イペだけでなく、健康食品全般に対していえることです。 医師たちも紫イペの薬効について知っていたとしても、そこに科学的が裏付けがないと、表立って患者にすすめることはしません。科学的な裏付けのない薬用植物の薬効をうったえることは非科学的である、との嘲笑を恐れることもまた一因であるとはいえるでしょう。 紫イペに対するこの日陰者のような扱いは、紫イペの産地であるブラジルでも起こっていました。 ブラジルのサンアンドレー市では、紫イペのガン治療に関する効果が数多くあらわれているにもかかわらず、一般に公開することを許可しなかった時期がありました。しかし、誰もが紫イペの効果を認めていたことも事実なのです。 インディオが日常のあらゆる疾病に対して用いたといわれる紫イペ。それが現代でもいろいろな難病に効果をもたらすことを公式の場で認めることはあまりにも非科学的で、迷信を信じる未開人のように思われる。そこで誰も口に出すことをせず、ただ硬く口を閉ざしていたのです。 薬剤師であり市会議員でもあったアントニー・ブラーガという人物がしました。ブラーガ氏はある時、市議会の中で勇気をもって紫イペのガンや難病への効果をえました。そして、本来このような研究は政府当局が行うべきであると提言したのです。 そのうちに他の議員も発言を始めました。紫イペの効果を実際に体験していたのはブラーガ氏だけではなかったのです。ある議員は 「紫イペによる糖尿病の治癒例は1000件を超えている。」 と述べました。 他の議員たちもまた、自分自身で、または家族や親戚が紫イペでいろいろな疾病を完治させたことを体験し、知っていました。しかし、紫イペのどの成分がそれぞれの疾病に効果をあらわしたのか。それを説明することは困難でした。だからこそ、表立った発言は控えざるをえなかったのです。 病院において治療に紫イペを用い、その効果を目の当たりに見ている医師たちも、紫イペの効果を公言することをなぜか避けていました。 ある時、ついに関係省庁や医師たちに向けて、紫イペの薬効を認めて治療へ適用するように訴える市民運動が起こりました。このデモ結果として大成功とはいえなかったものの、関係省庁や医師から得られた回答でわかったことは次のようなものでした。
まるで、「共謀」でもしているかのように硬く口を閉ざそうとする医師たちと関係庁。確かにこのような「慎重」発言は、人間の生命に直接かかわる疾病治療の関係を考えたら、ある程度はやむをえないかもしれません。 しかし、3の「因果関係」にしても、8の「科学的分析」にしても、だからこそそれを求めての市民運動であったはずなのです。紫イペを「非科学的」というなら、そこに光をあてるべく動いたのが先の市民運動だったといえるでしょう。 しかし、この時期を境に、紫イペには少しずつ科学の光があてられ始めたともいえるかもしれません。なぜなら、その後サンアンドレー市では、紫イペを市民に配布することを要請する市議もあらわれたからです。 古代から「神からの恵みの木」として神聖視され、数々の疾病を治したとされる紫イペ。その紫イペがなにごとにも科学万能主義を唱える現代の中で、闇から闇にまさに葬り去られようとしながら、きわどく崖っぷちから生還したのも、その効果を根強く支持し信奉する市民や一部の医師や科学者たちの存在があったからだといえるでしょう。 |
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